創業90周年感謝の夕べ挨拶
改めまして、皆さんこんばんは。本日はお忙しいところ、また、御遠方からも弊社、田中共栄商会創業90周年感謝の夕べにお越し頂きまして誠にありがとうございます。また、平素は皆様方には大変お世話に成っていますこと改めましてこの場をおかりし厚く御礼申し上げます。
本日は、ご来賓として、衆議院議員、平口洋先生にお越し頂いています。お忙しいところありがとうございます。平口さんとは今から46年前、私が20歳、平口さんが建設省のお役人で25歳、下宿先の部屋が隣同士になり、同じ広島出身ということで大変可愛がっていただきました。この話をしますと、ひょっとして田中さんは東京大学ですかと言われますが、いいえ、私は東京の大学ですとお答えしています。平口さんから他人様に親切にすること、他人様に優しくすることを教えていただきました。そして何より出会いの大切さを学んだ事は私の人生のかけがえのない教えとなっています。
本日も田中共栄商会の命の恩人とも言うべき、23年前の東芝中国支社長、小川佑次様、経理課長、高野重巳様には埼玉から駆けつけて頂きました。遠いところからありがとうございます。弊社が一番苦しい時に本当に親身に経営のことを自分のことのように考えて頂き、ご指導をして頂きました。その当時は3期連続赤字、債務超過で金融機関の格付けはその当時、未だ髪の毛はありましたが、ハゲではなく”ハケ”破綻懸念先でした。随分と悔しい思い、嫌なこともありました。そして何より資金繰りには本当に苦労をしましたが、その時の頑張りのご褒美か奇しくも今月の末で借金が完済することが出来ます。お金の苦労だけは、二度としたくありません。その当時、苦労をおかけしましたが、祖父、父、わたくしと3代に亘り活躍して頂きましたOBの方2名にも参加して頂いています。ご無沙汰をしています。
さて、弊社はわたくしの祖父、田中次郎が昭和4年1929年の11月に創業をしてくれた会社です。立町50番地(昔、太陽神戸銀行があったところ)紙屋町東電停の南側で創業を始めています。開業当時は旭石油(昭和シェル石油)の油商としてスタートしたとのことです。10年ぐらい油・タイヤを販売したそうですが、第二次世界大戦前あたりから、油・タイヤは統制を受けるからと取扱商品の切替を希望しているときにタンガロイさんとの出会いがあり今日まで長いお付き合いをして頂いています。タンガロイさんはその後、東芝の経営になり、その関係で順次、東芝さんとの取引が始まったようです。東芝エレベータさんとは昇降機事業部発足当時からの中核代理店で最近では年間40台余りを販売できる代理店へと成長をしています。東芝キアリア、東芝ライテック、東芝産業機器システムさんとも長いお取引をさせて頂いています。
今日は、息子の晴久がドイツより帰国しています。息子は現在、愛知県豊川市に本社があります、OSGさんにお世話に成っています。現在は、ドイツのシュツットガルトで修行中でございます。10年後の100周年までには円満にバトンタッチをしていきたいと思います。
本日、会場のおりづるタワーですが、創業の地、立町。現在の猫屋町のちょうど中間ぐらいです。この建物が出来ました時に感謝の夕べはここで開催すると決めていましたので本日、開催できますこと本当に嬉しい限りでございます。後ほどおりづるタワー、オーナーの松田哲也さんからおりづるタワーに掛ける熱い想いをお話しいただきます。また、同級生のリンテンこと岡崎倫典君にギターのライブをして頂きます。彼の演奏も以前から温めていました構想ですのでこちらも実現できました。彼の素晴らしい演奏を後ほど聞いて頂きます。お楽しみくださいませ。
さて、前置きが長くなって恐縮です。皆様方のお蔭様で本日を迎えることが出来ました。改めまして、感謝申し上げます。今後もスタッフ一同、「小さくても存在感のあるきらりと光るエエ会社」を目指し、100年倶楽部の仲間入りが出来ますよう精進を重ねて参ります。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
終わりに、本日の司会を快く引き受けて頂きました丸子ようこさん、そしてこの会を開催するにあたり親身に成って準備を進めて頂きました、おりづるタワー事務局の長岡優さんに感謝申し上げます。本日は折角、お越し頂きましたのに大したおもてなしも出来ないかもしれませんが、最後までよろしくお願い致します。ご清聴ありがとうございました。
株式会社田中共栄商会 代表取締役 田中 茂